どのようにしてベトナムで素晴らしい職を得て、新たな体験の日々を送るようになったか

私はずっと海外で働きたいと思っていました。特にアジアでです。ジョージ・オーウェルやジョゼフ・コンラッドが描いたビルマやアフリカを舞台とした小説の影響を受けて、見知らぬ遠い国で暮らすことを夢見ていました。六本木にあるショッピングセンターや華やかなカフェは別として、世界にはまだ未知の体験ができる場所があるはずだという考えるのが一番楽しかったのです。

私が夢見たのは未知の体験だけではありませんでした。太平洋の向こう側で働くチャンスがあるはずだと考えたのです。東京で4人のルームメイトとボロボロの家に暮らしながら、年間42,000ドル稼いだ自分のスキルセットなら、アジアでもっと良い暮らしができると考えました。2014年には国立大学を卒業する予定だった私は、履歴書を作りながら、アジアできちんと仕事に就いて、東京での生活よりも良い暮らしができるはずだと心から信じていました。

そして2015年にはその夢をほぼ叶えることができました。毎朝、ベトナムの首都、ハノイの騒がしいバイクの音や通りの行商人の声、電線に吊られた拡声器から聴こえてくる政府の朝の放送、埃っぽい空気の中で目を覚ますのです。この世界はどこから見ても私が生まれ育った世界とは違っていて、まさに私が夢見た未知の体験でした。

ただ、ひとつだけ夢見たものではなかったのが仕事です。憎いくらいでした。
「憎い」という表現は強い言い方かも知れませんが、本当に嫌いでした。私は「ホスピタリティ産業のスタートアップ企業」の全段階にあると言われた所で働いていましたが、実際はその事業は自転車操業で立ち行かない状態でした。その会社が不正を行っていたと気付いたのは3か月ほど経ってからで、そこで会社には銀行口座を持っている人がおらず、私の給料もクローゼットに隠しておかなくてはならなかったことにも納得しました。

私はその仕事を辞めなければなりませんでしたが、ベトナムにはどうしても残りたいと思いました。まだ十分に未知の世界を堪能してなかったし、ハノイでの8か月の生活で、やっとベトナムでの生活に慣れてきたところだったのです。
オンラインで必死に仕事を探し、ベトナムに2つのオフィスを構えるデンマークのテクノロジー企業に応募しました。大学で専攻したとはいえ実務経験がほとんどないのにどうして海外のテクノロジー企業に行きついたかというと、特に理由もなく、無理を承知でとにかく応募したのです。

オンラインでその求人に応募しましたがすぐに落とされてしまいました。ベトナム人の人事担当チームは、そのポジションでは欧米人を雇う予定はないと知らせてくれましたが、もしその他で空きがあれば教えてくれるとのことでした。

気持ちとしては、負けを認めたくない気持ちでした。帰国したくはありませんでした。東京には戻りたくなかったのです。アジアで一年生活してからでは、東京の普通の暮らしが恐ろしくさえ思えました。もし帰ってしまったら、大多数の他の人たちのように、東京の郊外での生活に甘んじるのです。私の冒険は終わりを告げ、プリウスに乗ってフ六本木で買い物をして、フレッシュネスバーガーでバーガーやポテトを食べる日々に息を詰まらせるのです。

そんなことはできませんでした。あの時帰るわけにはいきませんでした。そこで私を不合格にした会社のホームページに戻りました。そこにはその会社のCEOのeメールアドレスが載っていたので、すぐさま自分がすでにハノイで暮らしていること、人事には不合格にされたこと、それでもその会社で働きたいと強く思っているという内容のカバーレターを書いて送信しました。

それから何時間かして、その会社のCEOから返信が来ました。驚いたことに、これは私の考えですが、私がすでにベトナムのハノイで暮らしていたこと、そしていわゆる「興味深い経歴」を持っていたことから、その会社のアジア支部の業務部長を紹介してくれたのです。

その後ひと月の間に何度か面接を受けて、ようやくプロジェクトマネジャーとして働くことになりました。

信じられない話ですが、それから一年ほど経ちました。私はまだPMとして働いていて、沿岸都市のダナンで暮らしています。東南アジア有数のビーチまで歩いて5分という立地のアパートには寝室が2つあります。そして、毎月東京にいた頃よりも多くの貯金もできています。

あのとき諦めずにCEOにまでメールを送って、断りの返事が来なかっただけでなく、自分を売り込むための方法にたどりつき、本来の採用手順を曲げられるくらいの創造力を持てたことを本当に嬉しく思っています。そして諦めないことの大切さや、ハノイで起こったことや、海外で働くためにとった行動など、私の話から知ってもらえたらと思います。今の雇用市場では、自分のスキルを売り込むためにクリエイティブになる必要があります。そして同時に自分の価値を最大限に買ってもらえる場所を見つけなければならないでしょう。

個人的なことですが、私は海外で働くことで、ここでは書ききれないほど多くのことを学ぶことができました。そしてそのおかげでずっと夢見てきた生活を手に入れることができています。私が今の仕事に就くまでにたどってきた道は一般的とは見られていません。けれども、このグローバリゼーションの世界で、ますます多くの大学新卒者が海外での仕事を求めるようになるでしょう。そしてインドやベトナムのように、世界中で爆発的に増える新興都市は、そういった求職者達を温かく受け入れてくれるはずです。

自ら世界や世界が持つ可能性に飛び込もうとしている人たちは、故郷で考えていた以上のチャンスを手にすることができるだろうと、私はずっと思っています。そして、皆さんが私のたどった道を歩き、世界が与えてくれるチャンスを逃すことのないようにお手伝いできたらと思っています。